バーチャル人格は肉体を露出させないべきか?VTuberの素手NGルールから見る身体性・人間性の発現のレベル感

ITテクノロジーVR・XR創作名義論

近年のITや3Dグラフィック技術などの発展により、人やAIは電脳空間で自分の本来の姿ではない形で自分を演出することが可能になりました。その代表例がVTuberなどに象徴されるバーチャルな人格たちです。

ただ、私は、そのキャラクター性を重視するあまり、バーチャル文化全体の雰囲気として思うように、演者の素手や肉体はおろか、リアルでの言動を一切出してはいけないとなって、当該バーチャル人格が不本意に画面やメタバース上から出られなくなってしまう(バーチャル人格の演者が行う自然人としてのアナログなふるまいの全面禁止)ことを懸念しています。今回はその周りの紹介と、問題提起を少しさせていただく話です。

あなた方は、電脳空間でしか生きられないバーチャルな人格なんだから、素肌を出すのは一律禁止です

VTuberをはじめとするバーチャル人格が、どこまで演者の身体を露出させるかについては、VTuberの広まりとともに問題になってきました。

昔は、まさにキズナアイさん(名前からしてAIという設定)やバーチャル美少女ねむさんとかを見ていただければ名前からそうだと思うんですが、きちんと設定を作りこんで、彼ら彼女らはあくまでも「バーチャル」、現実には行かない・行けないという思想のもとに仮想人格を運営していたわけです。彼らが活動を始めたVTuberの初期は体の一部が映るだけで「Vじゃない」とか「世界観を壊すな」と怒る人もいたらしいですが私は当事者じゃないので彼らがどのような雰囲気で当該バーチャル人格のエンターテイメントを楽しんでいたかは厳密には分かりかねます。

ただ、初期からねこますさん(バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん)みたいな「中の人が明らかにいてしかもそれがおじさんです」と高らかに喧伝しているような者もおり、その線引きは個々人で異なり、「完全にバーチャル」の方が優勢だったものの、「自然人がバーチャル技術を利用しているだけ」な人もいた印象ですね。まさに匿名Twitterアカウントの人が受肉したみたいなイメージでしょうか。

このうち、「自然人がバーチャル技術を利用しているだけ」の素肌管理についてはまさに個々人にゆだねられるでしょう。現在は既存のYouTuberなどがそうしているように、たいていは顔は映さず、声と一部身体は場合により映せるといったところでしょうか。民間人が出演することになっても、犯罪者の声のように声を加工させる努力も怠られている印象です。問題は、自然人の存在を否定したい演者や企業はどう立ち振る舞うべきか、ということです。

多様化する設定と、再び回帰する動き

変わって2024年、最近のVTuberは、実世界での声優活動や実世界で配信など活動している自然人の延長線上みたいな人が多数参入してきているわけで、別に身体を露出させてもいいんじゃねという雰囲気になってきています。例えば、おめがシスターズなどでは頭だけ露出させてバーチャル顔のアイコンやフェイストラッキングをアナログ画面に合成しています(一応現実と合成したバーチャルな顔や肉体は演者とは別の扱いになっているようですが)。こうしたスタイルのVTuberは、実際顔を隠しているだけのYouTuberみたいなもので、当然彼らの人間としての存在も認めているわけです。

一方、大手VTuberは全てのキャラクターについて設定が作りこまれており、どちらかというと「完全なバーチャル」に近い存在を演出しております。そのキャラクター性によって人々を楽しませたり、今後ビジネスをするに当たっては演者の人間としての存在が邪魔になってくることがあるでしょう。

最近(2023年11月)、ホロライブEN所属の小鳥遊キアラ、森カリオペ、IRySの三名が行ったネイルサロン配信の影響で、株式会社カバーで素手を露出させる配信がルールとしてできなくなるといったことがありました。

詳しい理由などは公には出されていないようですが、この一件の少し前より社内でルールを策定し、直後、その罰を受けるかのように正式にルールとして採用されたわけです。

キャラクター性を謳っているVtuberが、手などの身体を露出させて、身体的特徴をあらわにしている。これは設定に矛盾があり排除したい。そういった狙いがあるのではと思われます。

ちなみに当該配信ではコンドーム(指サック?フィンドム?)かなんかで遊んでたらしいですが、そういった立ち振る舞いの隅々に至るまで関係があるかもしれませんね。

ともかく、そういった既存のバーチャル遵守度合がきつい事務所に入る場合は、かならずご希望のところのバーチャル人格に対する態度をよく調べてください。こうした状況に関しては「知らなかったお前が悪い」ですからね。そのうえで自分に合った選択をなさってください。

素手がNGな理由

素手がNGな理由というのは、概ねこの3つに分類できるのではないかと思います。

1.プライバシー保護・個人情報抽出への対策

人気IPやその属人的たるタレントの管理者としてもっとも懸念しているのがこれじゃないんですかね。肌です。やはり彼らにとって現実世界の存在をあらわにされることは抵抗があるものです。当該VTuberらがこの世界で生きる人間であることを認めている場合、肌を露出させないことで演者のプライバシーを保護し、個人情報ことはやって損することは、当該人格や企業への信頼につながるわけです。

また現代の技術というのはすさまじいもので指紋、手紋、音声といった生体情報から本人の情報を盗み出していたずらをする人がいるわけですから、こうした人のための対策ということです。特に人気者はやるべきでしょうし、リスクを取りたくない民間人たちでネット上に自己表現を行う者にとってももっと普及していくでしょうね。

手や肌というのは情報の塊でして、過去何万年何億年と引き継がれてきたDNA、進化の軌跡が現れています。ほくろやそばかすは個人の顔や肉体を印象付けるパーツですし、手のしわやしみの数を見れば演者がいま何歳であるかだいたい察しがつき、肌の色でどの人種であるかだいたい察しがつきます。

2.人種問題

今回上記三名のコラボ配信まわりで特に話題にされたのがこれです。私は直接その人種関係のコメントを確認することができませんでしたが、現在人口の95%以上が黄色人種・大和民族である日本国民とは違い、海外勢のVTuberだと、いろいろな問題が生じる可能性があります。

例えば、俺たちの○○(キャラクター)は肌が白いから中身も白人だと思ってたのに黒人がやってんのか。人種のギャップに失望した、もう見ません。貴様らは白人至上主義・人種差別者のつもりでやってんのか。みたいな。これは日本人にとっても関係のある話で、特に褐色・茶色肌のバーチャル肉体で、演者の肌が白めだった場合もそうですよね。

日本ではなかなか感じることが難しいですが、人種問題というのは欧米などでの奴隷制を含めた歴史的背景、人種間のカルチャーや美的センスの差など根深い問題があるようでして、人種の壁を超える技術であるだけに、その旗振り役となる大手VTuberではますます秘匿して、変な炎上を招かぬよう下手に出る必要があるわけですね。

3.キャラクターとしてのイメージの保持

VTuberは非実在のキャラクターを通じてコンテンツを制作するわけですが、キャラクターのイメージや風貌が実際の配信者と異なる場合、視聴者に混乱や不信感を与える可能性があります。特に、素肌を露出させることによってキャラクターのイメージが変わる場合、視聴者との信頼関係に影響を与える可能性があります。

先ほど年齢や人種の話をしたわけですが、これはまさにキャラクターイメージに直結します。バーチャル人格と適合した姿じゃなくて幻滅し、人気が落ちるかもしれません。

でも待ってください、キャラクターとしてのイメージの保持が目的なら、この世界に存在してはいけないじゃないですか。人外キャラクターを用意するなら、それを用意する者は、批判されたり矛盾を論破されたりされないために論理的整合性がうまく取れた理論を構築し、その理屈に準ずる形で当該バーチャル人格を運営しないといけません。ですから、論理的な正しさを追求すれば、素手どころか身体性を感じさせる話題が一切タブーです。しかし、彼らには人間としての生活があります。その安全な生活をキャラクターとして認められるだけの隠れた理屈に「演者たち」は命を助けられているわけです。

実写がOKな理由、人間としての存在を可能にする隠れた解釈

そういうわけで、素手NGとなったわけですが、なぜか実写は続けております。外ロケなど、結局は自らが人間であることを自覚しているかの如く実世界での存在を示唆させる行動を取っています。私はこれにちょっとイラつきを感じたわけですが、実は実世界での存在を可能にする隠れた解釈があるのかもしれません。どのような理屈で演出されているのか、ちょっと考察してみましょう。

バーチャル人格の設定を厳密に順守するなら、彼らキャラクターは「本来存在してはいけないはずなのに、存在を隠していない」わけで、キズナアイなどがそう努力してきたように、忠実に存在を包み隠す必要があるわけです。基本的に物理世界での出来事を示唆させることがあってはなりません。

一方、バーチャル人格の設定を保ったまま身体の出現を許すには、人間とは大きくかけ離れたキャラクター設定を修正しなければなりません。それで人間・人間のガワがあるというキャラ設定であれば身体性を発現しても支障をきたしません。彼らバーチャル人格の肉体が演者をかたどって作られているのもそれを正当化するためでしょうね。

あるいは、「あなた方に演者の肉体が見えるのは神の奇跡だ、神力の発現だ」と神のおかげということにするのか、宿命論に走るのか、演者が映しているのはパラレルワールドの向こうということにするのか、。

ただ他方で、こうした神力とかパラレルワールドのような設定にすがっても、彼ら演者には、場所も正体も不明ではあるが、この地球上のどこかから配信しているというごまかしの利かない事実があるわけで、演者自身の設定マネジメント的にも、ごまかし切って逃げ切れることは無理があります。そもそもコンテンツプラットフォームが人間向きに作られています。じゃあ無理に人間性を隠すのは諦めようということなんでしょうか。否、それ以外にも理由はあるはずです。

なんでOKにしているか、その一つの解がビジネス上の理由です。身体露出を最低限に抑えながら、身体性を封印させず「演者たち」の人権を守り、わずかな情報の露出により背後に人間がいることを示唆させることで「うちらのタレントはあくまでもAIじゃないですよ」と得意先様に言うことができるわけです。ビジネス上の戦略でもありますからね。とどのつまりはそういう話なんじゃないかと推測しております。

「演者たち」の人権で言うと、誹謗中傷対策で人間性を否定していない可能性があります。現行法ではやはり裁判沙汰になると、いくらキャラクター性がある人格であってもバーチャルな人格を自然人の人格とは別個のものであると認めた前例は未だなく、たとえ匿名であっても「中の人」の自然人としての権利を重視し、設定もくそもねえといった結末に帰結することになります。こうして出た正式な判決文にはしっかりと演者の本名が記載されることでしょう(もちろん、重大な犯罪を犯していない民間人の場合法学雑誌等に掲載される際の個人情報ナーフはあります)。

もし下手にバーチャルな人格に独自の人権を与えてしまうと、誹謗中傷があった際に中の人への補償が取れない可能性があるということで、こうした法的な場では本名や中の人を参照してあげつらうのがいまは最善の解決策となっております。にしても、バーチャル人格への法的配慮に関してはまだ未発達だと思いますが、これはまた別のお話。

また、ことカバー社においては、身体性は否定しても、人間性は否定しないというスタンスであるように見えます。社は過去にも生成AIをベースとしたVTuber活動をビジネスとして推進する可能性はないとしていて、AIのVTuberには深く踏み入らず、社のVTuber活動としては人間であるタレントを応援するというスタンスのビジネスとしてとらえています(参考記事)。単純に人間性があった方が面白味が増すというわけですね。機械では代替できない価値です。

そういう意味では、彼らは再び本当のあるべきバーチャル人格を目指しある程度原点に回帰しながら、人間性を消さないような絶妙な塩梅で、どこまでバーチャルを徹底するかについて落としどころを見つけているという感じなんじゃないんでしょうか。

穿った見方ですが、でも、本当は、今のVTuberの運営者を見ていると、演者という人間が身体を持っているという状況を否定したいんじゃないと私は思ってしまうものです。遠い将来、私は、こうした企業勢VTuberは用心をし過ぎて最終的に全員バーチャル空間から出てはいけない状況になりそうだと予測をしております。お堅くキャラクター売りをしてたら、そのうち現実空間にいることのリスクが電脳空間での活動よりもはるかに高まる時代が来て、この世界に存在していることをほのめかすことすら危険な状況にるんじゃないんですか。きっと演者が「旅行する」のみならず「スタジオに通う」ことや「食べる」「トイレに行く」こと(を言うこと)が過去のものになるかもしれません。原則ずっと自宅に封印されてるかも。でもそんな時代になったらバーチャルな娯楽が増えてくるからその方面での問題も解消されるんでしょうか。

この記事を書き始めたときは演者の存在自体を否定したいのに身体の顕現を否定するのは矛盾やぞと思っていたので、結局は演者の存在や人間性を重視しつつも身体性の発現を最低限に抑える理屈が複数あったということなんですね。

真のバーチャル人格の在り方を追求する方法論

大手のVTuberアイドルではこれ(No身体性、Yes人間性)が正解なのかもしれませんが、誰しもがバーチャル人格を持てる現代。大手のスタンスが全て正解ではありません。バーチャル人格の設定で破綻を起こさないためには、事前に当該人格と演者の肉体や精神との関係性をしっかり整理して、論理的に破綻が起きないようにふるまわなければいけません。

何をどの程度露出するか、演者の存在はバーチャル人格そのものなのか、それともはなから存在しないのか、区別/隔離された別個体として存在させるのか、人によって答えは違うと思います。

こうした露出度合いは使うバーチャル人格の特徴によっても決まりますし、ます。

VTuberの肉体顕現を考える|夜枕ギリー
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夜枕ギリーさんという方が、肉体顕現のレベル感についてよくまとまっていると思ったので紹介します(他力本願ごめんなさい)。人間としての存在を否定して設定/電脳世界の住人感全振りにするのか、No身体性Yes人間性でいくのか、衣服越し・モザイク越しなら存在を見せてもOKか、素肌OKか、顔バレしなければOKなのか、顔まで出してもいいのか、顔を出す頻度はいつ何時どのくらいか、あるいは名前や住所、声、その他身体以外の個人情報はどこまで出すのかというように、程度にはグラデーションがあると思います。

こういう設定の破綻は思わぬことがきっかけで今まで積み上げてきた論理や屁理屈があっという間に崩れていくものです。皆さんもバーチャル人格を運営される際は自身のスタンスというものをよく考えてわきまえて行動してください。そして、必要とあれば身体性も人間性も滅し、存在しないことにするというのも一つ手段としてありますので、もしそうされる方は隔離のための大変な努力をがんばってください。

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