これは、#2 草津温泉旅行記・草津湯畑周辺を紹介の続きです。
さて、夜が明けて2日目。これからは西の河原を散歩し、光泉寺で初詣をします。
西の河原公園入り口から見える建物は、片岡鶴太郎美術館です。
片岡鶴太郎美術館は、草津ホテルの隣接施設として1998年に開業。鶴太郎さんの作品を常時100点以上展示しているそうです。
彼が草津になんのゆかりがあるかは知りませんが、温泉地に美術館を作ろうと思ったのは粋な試みと思います。私はまず片岡さんの画風も知らないわけですが、まあどの作品も片岡さんが描きたいものを描いたのは確かです。
写真は撮影しませんでしたので、これは個人の思い出とします。
さて、どんどん奥へ進んでいきましょう。
ここが西の河原公園です。
多分これは足湯でしょうが、こんなもの使う人なんていないんじゃないですか。そもそも足湯じゃないかも。
ところどころに池があり、そこから温泉が湧き出ています。
温度は40度くらいで、手を入れたら暖かいです。
ここによくわかんないおっさんの石像が二つ立っていて、雪国の中のモアイみたいになっていますが、このおじさんは、エドウィン・V・ベルツ博士です。
ベルツ博士は、明治期に日本に招かれたドイツ人の医者です。彼は草津温泉を再発見し、世界に紹介しました。一時は草津に6000坪の土地と温泉を購入し、世界に名だたる温泉保養地にしようとしたのですが、頓挫しました。今も草津にはベルツ記念館があります。
この先には、草津ビジターセンターや、露天風呂があります。この奥はほぼ何もないも同然なので、名残惜しいですがここで引き返し、草津の町を古くから見守ってきた、光泉寺へ初詣へ参りましょう。
光泉寺。正面から撮るには人がたくさんいすぎたので、本堂を横から撮っています。
光泉寺は、真言宗の寺院で、1200年に再建されました。鎌倉幕府滅亡後には、南朝の重臣、護良親王、新田義貞、楠木正成などですね、彼らはこぞって白根大明神に神礼(おふだ)を奉納しているようです。
ちなみに、光泉寺には釈迦如来像を安置するお堂があります。これは、江戸は元禄時代、当時の東大寺の僧、公慶上人が作ったお堂です。東大寺の大仏再建の時、骨木で作った2体の釈迦像のうちの一体を玄賀に賜わり、元禄16年(1703)、光泉寺に安置することとしました。
このように言い伝えられてきたのですが、この釈迦如来は、平成17年(2005)の調査により、そのことが事実と証明されました。安置より300年を経て世に出たことにあやかり、遅咲き如来として地域の人に改めて信仰されています。これからもう一花咲かせるのにご利益があるのかもしれません。
この鐘は温泉地の近くだけあって、世界で最も劣化が早いようです。だから一突きごと寄付をするように張り紙がありました。
この後は、舞茸そばを昼飯とし、すぐに折り返しました。しかし、帰りの指定席が取れなかったので、自由席に乗って帰りました。
かなり混んでいて、中之条からは立ち客も出ました。早く帰れましたが、計画不足が露呈しました。大事なのは、早めに計画を立て、望んだチケットや宿にありつくことですね。
コメント